1918年8月14日〜 | 兵庫県西宮市:鳴尾球場 | |
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第4回全国中等学校優勝野球大会は、1918年(大正7年)8月14日より 兵庫県西宮市の鳴尾球場で開催予定だったが 米騒動という社会情勢により大会中止となった |
出場する予定だった学校と幻の組み合わせ |
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大会中止時の詳細 | |
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出場予定の14校は兵庫県西宮市に集合済みで、8月13日には組合せ抽選会が行われた。 |
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主催の朝日新聞社は8月14日に、8月3日に富山県魚津町から全国に広がった米騒動により 延期の朝日新聞社社告を出したが、16日には中止と決定した。 |
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朝日新聞社は13日から16日までの4日間の参加費用を一切負担した。 |
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優勝旗は前年優勝校の愛知一中がそのまま持ち帰った。 |
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大阪の北野中校庭を球場として非公開開催をする案も浮上していた。 |
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九州代表の中学明善はこれ以降の全国大会の出場はない。 |
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四国代表の今治中の次の出場は、45年後1963年の第45回大会であった。 |
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特筆する事項として これらの出場予定校の出場回数は、大会中止にも関わらずカウントされている。 |