沿革 | ![]() |
※ 石野 忠 氏による会報「龍門」への寄稿文 “「関東小山田会」創設の経緯” より | |||
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昭和30年代 政治的には安全保障条約の批准を巡り反安保闘争が激化した動乱の時代 経済的には高度経済成長期への過渡期であり、「集団就職列車」全盛の時代 一方では故郷の英雄である大相撲の鶴ヶ嶺が活躍した時代でした |
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不慣れな都会生活に馴染めず挫折して帰郷する者もあり、激励を目的として「小山田会を設立しよう」という動き が興り、猪目政彦氏を会長に、川原勝氏・石野清海氏等が会長を補佐することで構想は決まるも、実際の設立 へ向けての作業は困難を極め「絵に描いた餅」に終わる |
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昭和50年代 再度、藤野章氏を事務局長にして「小山田会」設立の動きがありましたが日の目を見ることはなかった。 |
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平成時代に入り 川原勝氏の執念により、石野忠氏を幹事として設立の動きが本格化する 幹事6名による幹事会を重ね、「小山田会設立趣意書」の作成、名簿の収集および設立総会の構想を作成 設立の目玉には 一 翌年(平成十二年)が、西暦2000年という区切りの年であったこと。 一 小山田から初めて加治木町町長に川野威朗氏が当選されたこと 平成12年(西暦2000年)の80名出席による設立総会挙行 |
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初代会長:川原 勝 氏 2000〜2001年 二代会長:猪目 寛 氏 2001〜2002年 三代会長:薗田 豊 氏 2002〜2004年 四代会長:石野 忠 氏 2004〜2005年 五代会長:前田 博 氏 2006〜2009年 六代会長:二之方信良氏 2009〜2015年 |
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